🫠

雨あるある → やまない

12.18 月

夢の中で、家族がケンカする様子を眺めていた。イヤ〜な生々しさがあって、目が覚めて、遠くに住んでいてよかったなと心底思った。

今度の年末年始も帰省はしない。

そういえば、去年、妹が男児を産んで = つまり甥が発生して、それがすごいことだっていうのは頭ではわかるけど、実感はない。まだ会ってもいないし、会っても別に何も自分に変化は起きないと思う。甥や姪を溺愛する、みたいなムーブが自分には全然わからない。「家族」という概念に対する興味のなさは自分の人格について考える時に重要なトピックなような気がするんだけど、自分にとってはそれはふつうのことなのでとっかかりがない。他の人と比べたって意味はないし。ちなみに、複雑な家庭環境だったとかではない。父親のことは嫌いだったが、死んだのでまあもうべつに。

誕生日を迎えたし何か新しいことを始めよう!と思って YouTube で検索して腹筋をしたらめちゃくちゃキツくてまずい。

12.19 火

その天井のシミに初めて気付いたのは、たしか8月の半ば。何もやることのない盆休み、暑すぎて外に出かける気にもなれず、明るいうちから家でゴロゴロしている時だった。あんなのあったっけ…?

違和感を感じ始めたのはここ1ヶ月くらいのこと。いつの間にか天井のシミが大きく広がって、どうしても人間の顔のように見えてしまう。気味が悪くて、布団を頭まで被って寝るようになったが、視線が布団を貫通して刺さってくるような感覚がある。そのうち悪夢を見るようになって、十分な睡眠をとることが難しくなった。仕事でつまらないミスをして、上司に怒られることも増えた。どこにいても何かからの視線を感じる。振り返っても何もないことが逆につらかった、いっそ悪霊が目に見えてほしかった。そうしたら、それがたとえ幻覚であったとしても、きっと何か薬がもらえるだろうから。

寝不足がずっと続いている。眠い目をこすりながら、キャベツを求めて近所のスーパーに買物に出かける。歩いて10分足らず。引っ越してから幾度となく往復している、見慣れた、見飽きた道だった——この日、「それ」に気付くまでは。

12.20 水

1週間ぶりにクッキーを買いに行く。会計のあと、お店の方がクリスマスプレゼントをくれた。えっ、そんなことある!? とんでもないことですよ、これは。顔見知りではあるというか、自分がお店に行く時には話すけど、でもプライベートでの交流は一切なくて、なんならお互いの名前も知らない。自分がもう一生このお店に来ない世界線だって全然あり得たのに…。本当にうれしい。もこもこした靴下でした。抱きしめて寝たいくらいかわいい。

午後、会社の偉い人の話を聞く会。司会の方が冒頭で「ありがたいお言葉をたくさんいただけると思います」とか言っていてちょっとウケた。茶化してないか。自分にとってありがたい言葉はひとつもなかった。けど、もうべつに残念とも思わない。ふーん、って感じ。

12.21 木

雪が降っている。

夜、会社の公式 note の編集部のみんなで打ち上げ。自分にとって note 編集部での活動は会社から自分に割り振られた本来の業務とは異なる、やる必要のないもの(ただ、それは立場によっても違って、編集長的には広報活動の一環である)。だからこそ「やりたいからやる」というピュアな動機だけで駆動していた。そういう場があることは自分にとって間違いなく救いのひとつだった。悲しいことに「本来の業務」はいろんな人の思惑が複雑に絡まってなんのためにやっているのかわからなくなりがちだし、それに自分が参加する必然性も実はあんまりない。わたしはそういうものに関わっているとじわじわと精神が削られていくから、能力を素直に発揮できる場があって本当によかった。

出てくる料理はぜんぶおいしかったし、普段はしないような話もたくさんした。打ち上げができるくらいちゃんと活動が続けられたのはとても喜ばしいことだし、それからこの時期の「打ち上げ」には年末感があって楽しい。

12.22 金

出社する日。今日も朝から雪が降っている。うるさいな〜。

こないだのクリスマスパーティーのために買っ(て持ち帰ってき)たトナカイのツノをつけて仕事をした。突っ込んでくれる人もいればまったく言及しない人もいて、リアクション(またはリアクションしないこと)でその人の個性が見える感じがあって楽しい。あるいはシンプルにわたしのことが嫌いかどうか。

バリューズカードで遊んだ。わたしが選んだ価値観は「混沌」「刺激」「変化」「勇気」「エモーション・感情」の5つ。以前にも一度やったことがあったから、その時の反省を生かして今回は極力山札からはカードを引かず、誰かの捨てたカードを拾っていくことを心がけた。山札をめくって意味のわからんキーワードが手札に来てしまうのを避けたかった。ちなみに、いちばん最初に「家族」と書かれたカードを捨てた。ブレない。

会社の開発組織の下半期振り返りイベントがあった。来期の目標として「業務に不要なソフトウェアの利用を監視するシステムをつくる」っていうのを掲げている人たちがいて、その無邪気さに驚いてしまった。そんなんディストピアやん、誰も幸せにならんやん…。不要か必要かの判断を誰がするのか謎だし、そういった制限は創造性にブレーキをかけてしまうことになると思いますよ。まじでさあ。なんならちょっと怒ってるよ、おれは、その無神経さに。

12.23 土

2020〜2021年あたり、Discord でサーバーを立てて、毎週末 Among Us をやっていた。最初は Twitter の友人に声をかけて、人が集まらない時は友人の友人に参加してもらって…みたいな感じで、「ゲームを楽しむ」というのをいちばんの目的に、年齢も性別も関係なく平等なゆるいつながりが増えていくのは新鮮で楽しかった。まあ、そのサーバーはもう爆破してしまったのだけれど。その時に知り合った友人が福岡に遊びに来ていて、3年の時を経て初めてリアルに会った。エモい。博多駅のやまやで昼間っからモツ鍋とビールをやった。いい時間だった。議論中や霊界にいる時にはよく話していたから「初めて会った」感は全然ない。ふつうに生きていたら絶対に関わらなかった人と鍋をつついているのは本当にふしぎなこと。ありがたいね。料理もよかった。ごはんと明太子と高菜が無限におかわりできて、ちゃんとおいしくて、控えめに言って最高。住んでるとこういうチェーンっぽいお店は避けがちだと思うけど、全然通いたい。

小倉に向かう彼らを見送って、いつものように丸善へ。100年ぶりに『MUSICA』を手に取る、と言ってもレジへ向かうのではなく、立ち読みなんだけど。「立ち読み」という行為も100年ぶりだ。

羊文学のインタビュー記事を読みたかったのだけれど、それは先月号のよう。最新号の表紙 & 巻頭インタビューの Vaundy は自分はあんまり興味がなくて、もうひとつの特集「THE YEAR IN MUSIC 2023」のページをぱらぱらとめくる。年間ベストアルバムを決めよう、的なやつ。わたしは熱心な音楽ファンではないので、初めて目にするタイトルばかり。1位が King Gnu なのは納得。特集内で、ライターの三宅正一氏が2023年について「コロナ禍が終わっ(たことになっ)て、以前と同じ日常を取り戻したような空気になったが、それによって躁状態であることを強制させられているようなしんどさがあった」というような総括していて(正確ではないけどたしかこんな感じのニュアンス)、鋭い指摘だな〜と思った。コロナ禍によって強いられた「ひとりでいなければならない時間」に居心地のよさを感じた人はたくさんいたはず。そういう人たちも今年はお祭り感を楽しんでいたかも知れないけど、来年はそのゆり戻しが来ても全然おかしくないのかも知れない。

その後なんやかんや用事を済ませ、大手門から美野島までチャリチャリで駆け抜けて、靴下のお返しのプレゼントを渡した。「メリークリスマス!」のつもりが間違えて「おめでとうございます!」と言ってしまい、「えっ?」って聞き返されてちょっと恥ずかしかった。喜んでくれるといいな。

12.24 日

コーヒー豆を買ったらみかんをくれた。昨日も買物をしたらみかんをもらうっていうイベントが発生して、なんだこのシンクロは…と思った。みかんをあげるの、流行ってるんだろうか。まあ、プレゼントっていつどんな時にやったっていいもんですからね。最近のわたしは特に強くそう思います。

許可なく雨が降るの、本当にやめてほしい。全然やむ気配がなくて、1年半ぶりに天神のスタバに吸い込まれた。寒かったけど、ピスタチオのなんとかフラペチーノみたいなやつを飲んだ。1年半前と同じソファ席で。先週買った穂村弘『短歌のガチャポン』をこんな時のためにカバンに忍ばせておいたから退屈はしなかった。聞き間違いでなければ隣の席の女性の口から「コムドット」という単語が発せられて、YouTuber が市民権を完全に得まくっているこの状況を自分はいまだに飲み込めない。

23時すぎに近所のバーへ。おいおい、誰もいないじゃんか。みんな家で M-1 を観てのんびりしてるんだろうか、知らんけど。結局、最後まで自分の他に誰も来なかったから、店主と2時間くらい話し続けた。本当は一生恋バナとゴシップだけ話してたいんだけど、まじめな話題が多かった。

永野になりたい、2023年みんな躁だった説、クリスマスマーケット長すぎだろ、会社とは、行動経済学って好きじゃない、今の若者への「SNSやめろ」は自分たち世代の「マンガ読むな」「ゲームするな」の相似形、とはいえ SNS の「惹きつけ続ける」パワーはすごい = アテンションエコノミーは最悪、きき焼酎、ビーカーで湯量を測る、自分の意志に素直になれる人は多くない、資本主義に対抗するためにはなるべく小さな単位になるべきなのでは、言いたいことを言って辞めよう、そのために偉くなる、誰と戦えばいいのか、労働組合をつくれ、「失われた30年」とか言うんじゃねえ、「書き入れ時」という概念、毎月クリスマスケーキを売ったっていいのに。

トピックを羅列したってもう断片的にしか思い出せないが、前向きに終わった実感がある。これは本物だと信じたい。

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