きみは何も持たず、着の身着のままで街に降り立った。
家は? 仕事は? 生活は? いったいどうする?
しかし、何も持たない人間でも生きていく方法がある。
太古の人間が海の幸、山の幸を享受して暮らしたように、
ぼくらの周りにも、<都市の幸>が溢れているからだ。
君に都市型狩猟採集民として生きる方法を伝授しよう。(P.10 はじめに)
ひとことで言えば、路上生活者、いわゆるホームレスの暮らしについて書かれた本である。ただ、視点がちょっと違う(と言っても、べつに路上生活者についての書籍を読んだことはないけれど)。社会からの落伍者として同情するわけでも、馬鹿にするわけでもない。むしろ、すでに用意されたシステムに沿って生活している私たちとは全く異なる、既存のシステムからは逸脱したところで創造的に生活している、尊敬すべき対象として書かれている。
ただ、本書は路上生活者を褒め称え、万人がそうなることを推奨してはいない。根本の狙いは、
ぼくらひとりひとりの思考を転換させ、新たなる視点を加えること。
であり、そのためには
ぼくらの抱いている「家」「仕事」「生活」についての先入観を一つずつ疑っていくこと。
が必要で、その対象がたまたま、著者にとっては「路上生活者」だった、ということだ。
冒頭に引用した文にもあるとおり、本書のキーワードは<都市の幸>。これは要するに、ゴミだ。家庭ゴミ、アルミ缶、建築現場から出る廃材、期限切れの食品・食材、衣服・靴、貴金属、CDやゲームソフトなど。ほかに、ゴミではない<都市の幸>として、教会が配布する衣服や靴、公園で行われる炊き出しなども登場する。それらについて、「<都市の幸>が実る」という言い方をしているのが、すごくおもしろい。山で野菜や果物が実るように、海で魚や貝やたくさんの生き物が育つように、都市では、自然と<都市の幸>が実る。スーパーやコンビニ、居酒屋では、毎日食物が実る。週に数回は必ず、家庭から出たゴミが実る。ガソリンスタンドに行けば、使わなくなったバッテリーが実っている。この発想だけでも、もうじゅうぶん元が取れたと思った。
本書の第4章は「巣作り——準備編」。ここで言う「巣」とは「家」のことだ。本書は、ここからが本番だと思う。
現代では、ほとんど住む人間とはべつの誰かによって設計され、つくられ、構成する部品ひとつひとつの価格も知らぬまま、何千万という価格を提示され、なんの疑いもなく支払って、「家」を得る。ほとんどの場合、ローンに追われる。買わないにしても、毎月、安くない家賃を払い続ける。人間にとって根源的に必要なものである「家」であるにも関わらず、こんなにも手に入れることが困難であるという矛盾。
また、著者は、「土地を所有する」という概念も疑う。例えば、その土地で農作物をつくっているなら、まだ「土地」に価値があることはわかる。生きていくために必要なものだから。しかし、現代ではそこから生み出されるものでなく、何もしていないただの「土地」そのものが価値を持つ。これでは本末転倒だ。
そして、そんな価値観とは離れた場所にいる存在、それが「路上生活者」であり、彼らの「段ボールハウス」こそが、既存の「家」とは異なる、身体の延長としての、真に人間の生活に根ざした「巣」なのだ。「家」はいつか壊れるものだという前提に立った上で、壊れないようにつくるのではなく、壊れたときに建て直しやすいようにつくる。もちろん、自分でつくる。必要とあらばかんたんに移動できる。もちろん、雨風はしのげる。冬場もぜんぜん寒くない。というか、汗をかくくらいあたたかい。機能的には必要十分で、生きていくのに必要最小限なサイズ。
この第4章以降に登場する路上生活者たちの言葉には、心を揺さぶられまくった。少なくとも今のぼくなんかよりは、よっぽど自発的で、創造的で、有意義な人生だ。
本書がきっかけで、都市を見る目が確実に変化した。「もし自分が路上生活者になったら」という視点でものごとを見るのは、思いの外楽しい。ちょっと目を凝らせば、住めそうな土地はたくさんあるし、<都市の幸>はそこかしこに実っているし、けっこう本気で、いざというときもそれはそれでなんとかなるんじゃないかと思えた。東京にいられれば、という条件はあるにせよ。
「視点を変える」なんて話はもうアホほど見聞きしてきたけど、これは今までとはちょっと違う、もっともっと、ガツンときた。だって、たくさんの路上生活者はそれを実践していて、いまも生きている。
最後に、いちばんグッときた一節を。
都市ではすべての土地が管理されているわけではない。それはある画一化した階層(レイヤー)においてだけ、総思い込まされているのである。新たな視点を持ち、都市に無数の階層(レイヤー)が存在することを知れば、商品化されてしまった土地そのものを解放することだって可能になる。
こうした土地が存在し、都市型狩猟採集民立ちが実際に家を建てることに成功しているという事実は、「システムが人間を完全に管理することはできない」ということの証明だとぼくは考えている。(P.92)
